うちわの歴史|使われ方の移り変わりと日本三大うちわ
人々がうちわをあおいで涼をとる様子は、夏の風物詩となっています。浴衣や着物など、夏の和装に彩りを添えるアイテムとしても人気です。そんなうちわが日本の暮らしに定着するまでには、どのような歴史があったのでしょうか。この記事では、長い歴史の中でうちわがどのように始まり、その使われ方がどのように移り変わっていったのかを解説します。また、日本三大うちわのように、歴史あるうちわもご紹介します。身近な存在であるうちわをさらに楽しむために、ぜひお読みください。
うちわの起源と語源
今、日本の生活に根づいているうちわは、どのように始まったのでしょうか。また、「うちわ」という名称には、どのような語源があるのでしょうか。初めに、うちわの歴史の基礎知識をお伝えします。
うちわの起源
うちわは、紀元前3世紀の中国(周)から伝わった「翳(さしば)」が原型だとされます。翳は柄が長く、扇面にあたる部分は鳥の羽などから作られていたようです。現在のように涼をとる使い方ではなく、貴族など身分の高い人が顔を隠すための道具として使われていたとされています。
うちわの語源
うちわという名称は、「打つ翳(うつは)」から「うちわ」へと変化したと考えられています。この「打つ」は、ハエや蚊などの虫を払ったり、災いを打ち払ったりする動作が由来であるとする説もあります。「団扇」という漢字は中国語で、これに「うちわ」という読み方が当てられました。「団」の字は丸いことを意味し、「扇」の字は観音開きの扉を開閉する際に起こる風を意味します。
うちわの歴史と使われ方の変遷
中国から日本に伝わり、古くから使われてきたうちわですが、現在のような形や使われ方をするようになるまでには、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。ここでは、古代から現代に至るまでのうちわの歴史や、使われ方の変遷をご紹介します。
原始
日本でもっとも古いうちわの資料として、弥生時代や古墳時代の出土品や壁画が挙げられます。当時、中国(周)からうちわの起源である翳(さしば)が伝わったとされ、うちわの形状をした木製の道具が見つかりました。古墳に描かれた壁画から、こうした道具は儀式のために使われていたと考えられています。
古代(飛鳥・奈良・平安)
その後、うちわは徐々に発展していきます。奈良時代や平安時代には、貴族など身分の高い人たちのために、華やかなうちわや大型のうちわが作られたとされています。こうしたうちわは涼をとったり、顔を隠したり、飾ったりして使われていたようです。その一方で、庶民の間では軽くて使いやすいうちわが使われ始めたとされています。
中世(鎌倉・室町・戦国)
室町時代の終わり頃には、うちわが現在の形に近づいていきます。現代のうちわの元になった、骨と紙による構造に変化し、さらに軽くて使いやすいものになりました。戦国時代には、武将たちによって「軍配団扇(ぐんばいうちわ)」という道具が生まれます。軍配団扇は、武将たちが戦を指揮するために使いました。なお、現代における軍配団扇は、相撲の行司が力士の立ち会いや判定の指示などを行う道具として使われています。
近世(江戸)
江戸時代は、うちわが庶民に広く普及した時代です。涼をとったり、炊事のために風を起こしたりと、日常生活のさまざまな場面でうちわが使われるようになりました。さらに、江戸時代にはうちわのデザインも発展していきます。木版技術の発達によって団扇絵の大量生産が可能となり、うちわにも浮世絵や役者絵が描かれるようになりました。創意工夫をこらした絵柄のうちわが登場したことで、実用的な道具としてだけでなく、おしゃれを楽しむためのアイテムとしてもうちわが広まっていったのです。
うちわの老舗である伊場仙が製造を始めたのは江戸中期のこと。当時の伊場仙が竹と和紙を材料に作ったうちわは、やがて「江戸団扇」と呼ばれる商品となります。江戸後期に浮世絵をあしらったうちわが流行すると、伊場仙は初代歌川豊国・歌川国芳・歌川広重など人気の浮世絵師の版元となりました。
江戸団扇
近代から現代
さらに明治時代になると、うちわを広告媒体として用いる方法が普及しました。現代でもよく見られるキャンペーン手法のように、うちわの扇面に広告を入れて、多くの人に配布する方法です。こうしたうちわ広告は、当時の会社や寺社によって利用されました。その一方で、扇面に美しい絵画があしらわれたうちわなど、美術品や工芸品として高い価値を持つうちわも作られ続けています。このように、うちわは長い歴史の中で日本の生活や文化に根づいた重要な存在となったのです。
歴史ある伝統的な日本三大うちわ
日本の伝統的なうちわの産地として有名なのは、千葉県の房総半島南部、香川県の丸亀、京都府などの地域です。これらの3つの地域で作られたうちわは「日本三大うちわ」と呼ばれています。最後に、日本三大うちわの歴史や特徴をご紹介します。
房州うちわ
房州うちわは、千葉県の房総半島南部で作られます。この地域はかつて安房国(房州)と呼ばれ、竹の産地でした。江戸時代に関東でうちわ作りが始まると、房州は竹の産地として生産を支えましたが、明治時代になると房州でもうちわが作られ始めます。その後、関東大震災で東京のうちわ問屋が被害を受けると、房州に移住した問屋により生産が拡大しました。房州うちわは、丸い竹の形を生かした柄「丸柄(まるえ)」と、竹を細かく割いて作る「割竹(さきだけ)」の窓(=うちわの紙が貼られていない部分)が特徴です。
丸亀うちわ
丸亀うちわは、香川県の丸亀周辺で作られています。江戸時代の初期、丸亀では金刀比羅宮に参詣する「金毘羅参り」の土産物として、うちわが考案されました。土産物のうちわは、力の強い天狗が持つとされる羽団扇にちなみ、朱赤に丸印で「金」と書かれたデザインです。このうちわが記念品として人気を博したことをきっかけに、丸亀うちわが発展することとなりました。地域に多くの職人が住み、近辺で材料を入手できる丸亀は、国内のうちわ生産量の9割という多くのシェアを誇ります。全国各地のうちわの特色が地域に集まり、形状やデザインまで多種多様なうちわが生産されているのが特徴です。
京うちわ
京うちわは、京都府周辺で作られています。千年にわたり豊かな宮廷文化が根づいた地域の特色が、うちわにも反映されています。現在の京うちわの始まりとされているのは、土佐派や狩野派など宮廷に仕える絵師が手掛けた「御所うちわ」。うちわの扇面の中骨とは別に、後から柄の部分が取り付けられる「挿柄(さしえ)」と呼ばれる構造が特徴です。中骨は多くて50~100本にもなり、本数が多いほど高級品とされます。さらに、高品質な材料を使用したり、漆塗りや金彩が施されたりと、美術品や工芸品として価値の高い飾り用のうちわも作られています。
うちわの歴史を知ると楽しみがさらに広がる!
ここまで、うちわの起源や語源、歴史と使われ方の変遷、歴史ある「日本三大うちわ」の特徴までお伝えしました。うちわを片手に夏のお祭りへ足を運んだり、街頭のキャンペーンで配布されるうちわをもらったりと、うちわは私たちの生活の身近にある存在です。今では当たり前になっている使われ方も、長い歴史の中で生まれて、やがて人々の暮らしに根付きました。こうした歴史を知ると、うちわを使う楽しみがさらに広がります。うちわの老舗である伊場仙では、江戸当時の団扇絵をあしらった「江戸団扇」をご用意しています。伝統を感じる粋なうちわをお求めのお客様は、ぜひオンラインショップをご覧ください。