中国から日本に伝わり、古くから使われてきたうちわですが、現在のような形や使われ方をするようになるまでには、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。ここでは、古代から現代に至るまでのうちわの歴史や、使われ方の変遷をご紹介します。
原始
日本でもっとも古いうちわの資料として、弥生時代や古墳時代の出土品や壁画が挙げられます。当時、中国(周)からうちわの起源である翳(さしば)が伝わったとされ、うちわの形状をした木製の道具が見つかりました。古墳に描かれた壁画から、こうした道具は儀式のために使われていたと考えられています。
古代(飛鳥・奈良・平安)
その後、うちわは徐々に発展していきます。奈良時代や平安時代には、貴族など身分の高い人たちのために、華やかなうちわや大型のうちわが作られたとされています。こうしたうちわは涼をとったり、顔を隠したり、飾ったりして使われていたようです。その一方で、庶民の間では軽くて使いやすいうちわが使われ始めたとされています。
中世(鎌倉・室町・戦国)
室町時代の終わり頃には、うちわが現在の形に近づいていきます。現代のうちわの元になった、骨と紙による構造に変化し、さらに軽くて使いやすいものになりました。戦国時代には、武将たちによって「軍配団扇(ぐんばいうちわ)」という道具が生まれます。軍配団扇は、武将たちが戦を指揮するために使いました。なお、現代における軍配団扇は、相撲の行司が力士の立ち会いや判定の指示などを行う道具として使われています。
近世(江戸)
江戸時代は、うちわが庶民に広く普及した時代です。涼をとったり、炊事のために風を起こしたりと、日常生活のさまざまな場面でうちわが使われるようになりました。さらに、江戸時代にはうちわのデザインも発展していきます。木版技術の発達によって団扇絵の大量生産が可能となり、うちわにも浮世絵や役者絵が描かれるようになりました。創意工夫をこらした絵柄のうちわが登場したことで、実用的な道具としてだけでなく、おしゃれを楽しむためのアイテムとしてもうちわが広まっていったのです。
うちわの老舗である伊場仙が製造を始めたのは江戸中期のこと。当時の伊場仙が竹と和紙を材料に作ったうちわは、やがて「江戸団扇」と呼ばれる商品となります。江戸後期に浮世絵をあしらったうちわが流行すると、伊場仙は初代歌川豊国・歌川国芳・歌川広重など人気の浮世絵師の版元となりました。